17歳のとき親友を亡くした

Photo@Essay
Photo@Essay

何故だろう。
今宵は、感情を綴ることを止める気がしない。
「私、悩んでます」
とか、構ってちゃんみたいで、絶対に書くまい、思っていた。

鋸南町元名海岸にて
イメージです

緊張する場面でもないのに、動悸が止まらない。
膝が震えている。

ズーッと、心に蓋をして来たんだなぁ。

1998年に独自ドメインで
ウェブサイトを開設しても、

書かなかったのに。

ブログというシステムが出現しても、

書かなかったのに。


mixiをはじめとする、ソーシャルメディア
というシステムが出現しても、

ズーッと書かなかったのに。

一切、表に出して来なかった親友の死。
 

あぁ、そうだったんだ、と気付いたよ。

当時、後追い**するんじゃないかと、
周囲に心配されるくらい、
塞ぎ込んでいた17歳の秋。

今、35年経過した52歳の冬。
 

当時、君の遺影の前で、

「もし、天国で会えるとするなら、50年は再会しないからな」

と誓った日から、こんなにも経っていたんだなぁ。
誓いは守っているよ、F。
 

俺は生きている。
 

少しの不幸はあっても生きている。
 

ありがとう、F。

君のお陰だったんだなぁ。

キーを叩きながら、感謝の涙が止まらない。

当時、

「亡き人の願いによって生かされている私」

という言葉を、何かで知った。

君のお母さんが壁に掛けていたカレンダーに、記されていた言葉だったかもしれない。
この言葉を、ズーッと胸に刻んで生きて来たんだなぁって思う。

そして、当時、流行っていた歌が、ユーミンの「守ってあげたい」だった。

恋愛の歌だけど、

「もう一度あんな気持ちで夢を形にして」

が泣けた。
もう、夢を叶えることが出来ない君のことを思って、人知れず泣いたよ。
嗚咽を漏らしていた。

後年、親父を亡くして、こんなにも涙って出るんだって、不思議なほど、泣いたけどさ。
俺は泣いてたよ、F。


灰谷健次郎さんが、「太陽の子」の前書きで、こう書いている。
======
もし、わたしがたった一つ 
あなたに語りかける言葉を
持つとするなら、あなたの 
悩みや苦しみは、
あなたの 父や母、 
そして あなたの 「 生 」 に
つながる たくさんの 

「 死 」

 が、同じように悩み 

苦しんできたということを 
忘れないように ・・・ 。
=====

と。


この言葉に出会ったのは、15歳の夏だった。
それから、2年後に、こんなに悲しい思いするなんて、思ってもいなかったよ。
 

今宵、こんなにも感情が揺さぶられるのは、つい、先日、

「人生最後の恋」

かなぁと、思っていた人から電話があったからなんだけどな。

きっと、天国で見ていて、奥山は、ヤッパリ、しょうがねー奴だなって、と笑っているだろうな。

ウン、再会するまでは、こんなことを繰り返して、俺は、生きて行くよ。

君に、

「俺はこうやって生きて来たぜ」

と話す日を楽しみにているよ。

コメント