甲子園出場にあたり取材に協力させていただきました

Photo@Essay
Photo@Essay 高校野球

「取材に協力させていただく」と「取材をしていただく」は、全く意味が違いますし、街のスタジオに地元テレビ局が取材に来るなら、後者と思われますよね?ところが、習志野高校ならではの特殊な事情があります。

こちらは、甲子園出場が決まったあとの、学校グラウンドでの取材風景です。

撮影の合間に取材クルーに声を掛けました。

「地元商店街の人、取材に応じてくれてます?」

「いや、それが、全然ダメなんです」

「やっぱり。14年前も、私、インタビューしてもらいましたよ。他にいなかったら協力します」

なんて、会話がありまして、後日、協力させていただくことに。商店街の各店舗店頭に、「おめでとう」ポスターが掲出されていたとしても、取材に応じるほどの熱量はないのが実状だったりします。

外観からとはありがたや♪
千葉テレビ取材
当方所蔵新聞記事撮影中
1972年の記事

先代が保存していた記事を、スタジオに陳列していますが、これが、なんの説明もなく放送されたのは、ちょいと困惑。まるで、独自取材であると習志野高校に保管されているかのような印象を持った視聴者の方もいらっしゃるでしょう。「所蔵:奥山真詩」などを入れて欲しかったなぁと。

ということで、次が、インタビュー状況スナップです。意図が伝わらず、マイクをしまわれてしまったのは残念。

マイクを向けられての回答内容は、14年ぶり二度目というのに、まあ、グダグダでしたなぁ。でもまあ、素敵なレボーターさんと繋がり、しばらく、メール交換させていただいたのは、幸運なことでした。

また、3年違いのバスケ部の後輩が遊びに来ました。

担任の先生が同じ、という、不思議な縁も。その担任の先生が、ご結婚されて、故郷にお帰りになるという情報をゲットして、急遽、同窓会を開催したのは懐かしい思い出です。

追記 : 後年、女子大生となったお嬢さんから、虎ノ門のカフェで「Kの娘です」と声を掛けてもらったときは嬉しかったなぁ。

コメント